新説金ヶ崎の退き口!どうする家康、信長、秀吉、光秀も救ったお市と阿月

織田信長の危機!!といえば金ヶ崎の退き口(1570年)ですよね

え?知らない?

そんな人のために虹子編集長が解説いたします!

そして
知ってるよ~

という人には有名戦国武将それぞれの退き口を比較すると面白いかも

家康についてはこちら

ということで早速見てみましょう!

金ヶ崎の退き口の読み方は?

「金ヶ崎の退き口」って読めますか?
正しくは「かねがさき の のきぐち」です。

「金ヶ崎の戦い」や「金ヶ崎崩れ」と呼ばれることもあります。

金ヶ崎の退き口とは??:信長、秀吉、家康三大戦国英傑のピンチ!

本能寺の変の次に織田信長の人生最大のピンチといわれる「金ヶ崎の退き口」

実は徳川家康、明智光秀、豊臣秀吉のピンチでもありました。

この戦いで信長、秀吉、家康、光秀の誰か一人でも戦死していたら、今のこの世はなかったかもしれないのですから凄い戦いですよね。
どのような理由で窮地に追い込まれてしまったのでしょうか?

室町幕府の第15代将軍足利義昭は最初から京都にいたわけではありません。
将軍に就任する前は越前の戦国大名朝倉義景のもとに身を寄せていました。

当時京都は三好軍が占領していました。
義昭の兄である第14代将軍足利義輝は
三好氏に殺害されました。
お兄さんが三好氏の意のままにならなかったからです。

三好軍に都合のいい将軍を据えるために、義昭は命を狙われていました。
そして藤川義孝などの幕臣に助けられて、越前の朝倉氏の元に逃げました。

その後朝倉氏の力を借りて足利義昭は将軍になるために、京都に戻ろうとしていました。

しかし朝倉氏は石山本願寺と対立していたこともあり、上洛しませんでした。

代わりに足利義昭の京都入りを助け、第15代将軍として助けたのが織田信長でした。
その功績で信長は畿内に勢力を広げていき
ました。

信長は足利義昭の名を使って朝倉氏に従属と上洛を求めました。
しかし朝倉氏は応じませんでした。
朝倉氏討伐のため信長は京を出陣し越前に侵攻しました。

というのが通説ですが
元々若狭の武藤氏を討伐するために出陣したが
武藤氏が朝倉義景に助けを求めたので越前に侵攻したという新説もあります。

その中には同盟者の徳川家康、部下の豊臣秀吉、将軍の部下であった明智光秀もいました。

越前に侵攻した織田軍は、朝倉義景の従兄弟にあたる朝倉景恒が守る金ヶ崎城を陥落させて順調に進んでいました。
しかし、信長の義弟である北近江の浅井長政が裏切ったのです。

朝倉氏の本拠地である越前は現在の福井県、
浅井氏の本拠地の北近江は現在の滋賀県
このままだと越前と北近江から挟み撃ちにされてしまうため、信長は撤退せざるをえなくなりました。

信長大ピンチ!!死を覚悟した逃避行、歴史が変わった??

元々北近江の浅井長政は朝倉氏と父親の時代から同盟国でした。
信長は浅井長政に妹のお市を嫁がせることで、浅井家と織田家は同盟を結びます。
同盟を組むときに両家は「朝倉への不戦の誓い」をしていましたが、信長はこの約束を破って朝倉氏に攻撃をしかけたことになります。

浅井長政は朝倉氏と信長を天秤にかけた結果、信長とは手を切り朝倉家に加勢したのです。
信長にしてみれば義理の弟に裏切られた!!ということでしょうが、
長政から見れば「先に裏切ったのお兄ちゃんじゃん!!お兄ちゃんが悪いんだよ~~!!」と言いたかったのでは?

裏切りに気づいた後は??第六天魔王と恐れられた信長のことです。
さぞや怒り狂ったでしょう、、、

と思ったら、『信長公記』によれば、当初、信長はこの話を信じなかったそうです。
本能寺の変でも明智光秀が裏切るなんてみじんも思っていないかのような無防備な行動だった事を考えると、イメージとは違いますが案外人を信じて疑わないタイプだったのかもしれませんね。

最後は10人程度の御伴と共に這う這うの体で京都に逃げ帰ったと伝わる信長。
この時信長が死んでいたら、歴史は変わっていたでしょう。

お市のおかげで命拾い??阿月って?

織田軍が長政の裏切りになぜ気づいたか。

有名な話では浅井長政に嫁いでいた信長の妹・お市の方が知らせてくれたというのがあります。
小豆袋の両端を紐で結んで信長に送り「挟み撃ちになるよ」と知らせたというエピソードです。
実は後世に作られたお話だそうです。

本当は織田家の外交・諜報を担当していた松永久秀が浅井方の不審な動きに気づいたからといわれています。

2023年大河ドラマ「どうする家康」では家康&家臣団が気づいて、お市の侍女の阿月(あづき)が独断でお市への恩返しのために走って知らせに行っていましたね。
小豆に阿月がかけられているというのはネットでも話題になっていましたが、まさか伝えた後は死んじゃうなんて・・・・
正に命がけの伝令、マラソンの由来になったマラトンの兵士を思わせる演出でした。

一向一揆の話の時に、一人になってしまった小さい女の子に声をかけていた少年といい阿月といい
「どうする家康」はちょいちょいある人をクローズアップしといてすぐ退場という残酷な演出があるんですよね。
決してスイーツな大河ではありませんね。

 

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