伊賀越えとはメンバーは?脱落者は?歴代大河面白エピソード?家康三大危機

家康が江戸幕府を開くまで危機はたくさんあったのですが
その中でも徳川家康三大危機と言われている
三河一向一揆
三方ヶ原の戦い
伊賀越え

今回 「神君 伊賀越え」について虹子編集長がまとめてみました!!

伊賀越えとは何?なぜ家康三大危機なのか?

伊賀越えってなんですか?
ずばり大阪から三河への逃避行。
危険な伊賀を抜けて命からがら徳川家康一向が本国に帰ってきたエピソードのこと。

天正10年(1582)6月2日、織田信長が本能寺の変で明智光秀に攻められ亡くなります。
信長の招待で畿内各地を観光中の徳川御一行

しかし泉州の堺から京に向かうところで本能寺の変について一報が入りました!
家康と信長は同盟関係にあるため、家康も光秀に当然命を狙われています
家康が堺にいることは光秀にも知られているのですが、この時の手勢はわずか30人ばかり。
京都へ行き信長の弔い合戦をするどころか、追手を迎え撃つこともできません。
パニックに陥る徳川御一行

一旦本国三河に戻り、体制を整えることになりました
諸説ありますが、大阪京都から陸路で三重の伊賀を越えて、伊勢から船に乗って三河に戻ることになりました

しかし陸路といっても街道は通れません
そうなると落ち武者狩りの地侍や農民に襲われます
少ない手勢でなんとか逃げたものの
最大の難所は伊賀の国

伊賀は元々「総国一揆(そうこくいっき)」といわれる自治組織が治めていました。
しかし、天正伊賀の乱で信長はこの伊賀惣国一揆を徹底的に攻撃し殲滅させていたのです。
当然、信長の同盟者の家康も恨まれているはず
見つかれば命はありません
怖い怖い逃避行だったことでしょう・・・・

ちなみに天正伊賀の乱は嵐の大野智さん主演の「忍びの国」がわかりやすくて、虹子編集長は好きです。
「どうする家康」の松本潤さんと大野さんが伊賀越えで対立?助ける?など妄想が膨らんでいます。

伊賀越えとは?家臣メンバーは誰?

わずか30人ほどで三河まで逃げ帰った徳川家康御一行。
一緒にいたのは誰だったのでしょう。

徳川四天王である酒井忠次、榊原康政、本多忠勝、井伊直政
当時はまだ重臣の位置にいる石川数正
家康の伊賀越えを成功させた立役者とも言われる 服部正成(半蔵)
その他大久保忠世の息子や鳥居元忠の息子
槍の名手で有名な渡辺守綱
などでした。

ちなみに茶屋四郎次郎が本能寺の変を家康に伝え、畿内を脱出できるように手伝ったと言われています。
甲賀の人たちも様々な形で助けたと伝わっています
そして伊賀を抜けるときには、服部正成(半蔵)がネットワークを活かして、安全なルートを確保したと伝わります。
いろんな人に助けてもらえるのも、後に天下をとる人のなせる業なのでしょう

伊賀越えとは?脱落者は誰?

わずか30人ばかりの家康御一行。
残念ながら脱落した者もいるかと思いきや、特に犠牲者はいなかったようです

しかし一緒に堺見物をしていた穴山梅雪は徳川御一行とは別で逃げて、落ち武者狩りにあって命を落としています。

三方ヶ原の戦いでは家康を追い詰めた穴山梅雪
家康と一緒に逃げていれば助かっていたかもしれませんが、命運を分けてしまいました

伊賀越えとは?歴代大河ドラマ笑ってはいけない真田丸?おんな城主直虎でのエピソードは?

大河ドラマの伊賀越えと言えば
2016年の「真田丸」で内野聖陽さん演じる家康が半泣きで伊賀越えをしたシーンは忘れられません
ネットでも度々そのシーンが引用されています
「絶対笑ってはいけない伊賀越え24時」と揶揄されて話題になっていました

その翌年2017年の大河ドラマ「おんな城主直虎」では
本能寺の変を知らされた家康が悲観して「切腹して死ぬ」と大騒ぎしたという逸話を脚色。
本能寺の変は起きたが信長がもし生きていたら、先に三河に逃げ帰ったとわかればどうなるかわからない。
「信長の弔い合戦をするための準備をするために三河に戻る」というストーリーを穴山梅雪に、理解してもらうために皆さん大根芝居をしていました。
そして伊賀では、本田正信の暗躍もあって無事に帰ってきたという。
2年連続面白い伊賀越えでした。

どうする家康ではどんなコント…ではなく、ドラマになるのでしょうか

 

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